小学生時代~協力隊に入るまで
今回はマルチスポーツクラスに関係してくる私の子ども(小学生)時代の話から地域おこし協力隊に入るまでの話をしようと思います!
”昔から運動・スポーツが大好き”
私の出身は三好市の隣町の東みよし町というところです。幼い時から運動・スポーツが大好きで、近くの公園のトランポリンで前宙をしたり、美濃田の淵という場所で石切りや岩を飛んだり上ったり走ったりして遊んでいました。昔はトランポリンが公園にあったり、美濃田の淵という自然を遊べる最高の環境があり恵まれていました!(自然好きやアウトドアスポーツが好きなのは美濃田の淵で遊んでいたからかも??・・・)
それと自分でもちょっと凄いじゃないかと思うのですが、小学1年生の時に、のぼり棒を手だけでのぼりその棒を支えてる横方向の棒にぶら下がってから逆上がりをしたり、テレビで見たハンドスプリングがやりたくて家で座布団をマット代わりに練習し、ハンドスプリングができるようになっていたり運動・スポーツが幼いころから大好きでした!
”小学生の時に行っていたスポーツ”
そんな運動・スポーツが大好きな私が一番最初に行ったスポーツはスキーでした!保育所時代からやっているので物心がつくぐらいの時からやっています。今でも一番の趣味はスキーです!昨シーズンは関西のスキー場に家族で行ったり、だいせんホワイトリゾートにひとりでも行きました!ひとりでも全然行っちゃうぐらい好きです(笑)
次に行ったのが水泳です。母の勧めで小学1年生~2年生の1年間、スイミングスクールに通い全ての泳ぎを習得しました。当時、スイミングスクールに通うことは好きではなかったのですがゴールデンエイジ期に行っていたこともあり今でも、クロールはもちろんのことバタフライや背泳ぎ、ターンなどはできるので良かったなと思います。
それと同時期に家で縄跳びも行っていました。週にどれくらいやっていたか忘れましたが、小学6年生までの縄跳び達成シートが1年生の時点で8割、9割ぐらいは達成するほどやっていました。当時(1年生の時に)二重飛びを108回くらい飛んだのは覚えています。この数は結構すごい方だと思いますw
そして父の勧めで小学2年生の時に地元の少年野球チームに入り野球を始め、大学まで行いました。ですので私の専門種目は野球です。今でも高校のOBチームで甲子園出場を目指しプレーしています!野球については話したいことがいっぱいありますのでまた違う記事で徐々に投稿していきますね。
他にも学校が行う体操発表会や水泳大会、陸上競技会や駅伝大会などは全て参加しました。
その中でも力を入れていたマラソン大会や長距離走は、三好郡市の駅伝大会で1区の区間記録を作っています。(あれから15年経ちましたがもしかしたらまだ残ってるかも?めっちゃ確認したいです(笑))
これが私の小学生時代です。運動・スポーツ三昧でしたね~。
”大学時代”
こんな私ですから大学も運動・スポーツを学ぶため、大阪体育大学で健康・スポーツマネジメント学科に入学しました。大学では中学・高校の保健体育の免許と中級・パラスポーツ指導員の資格を取得し、卒業論文では、「三好市で行われたラフティングとウェイクボードの世界大会が地域にもたらした影響を調べ」論文を書きました。
”スポーツの仕事がしたい”
大学卒業後一度スポーツと全く関係のない会社に務めましたが、やっぱり「スポーツの仕事がしたい」と思うようになりました。まずは地元で地域スポーツであるスキー場と水上スポーツの仕事を行いました。
2社とも地域に少しは貢献していると思っていましたが、これではスポーツで地域活性をするには間接的すぎると思うようになりました。そして私は「スポーツで直接地域活性ができる仕事をしたい」と思うようになり、友人に相談したところ地域おこし協力隊だとそういう仕事ができるんじゃない?と提案してもらい協力隊になることに決めました!
”全国の市町村から三好市を選んだ理由”
なぜ三好市を選んだかと言いますと、大学時代に初めて知った「日本一の水上スポーツ環境。」昔、旋風を巻き起こし町おこしにもなっていた「池田高校野球部」という「スポーツによる町おこしの”ポテンシャルの高さ”」と高校時代まで私を育ててくれた地域にちょっとでも恩返しができればと思い三好市の地域おこし協力隊に応募しました!2022年10月、無事に面接が通り11月から三好の地域おこし協力隊として活動することが決定しました!!
ここから盛り上がってくるのですが、今回の話はここまでにしときます!
次回は、地域おこし協力隊に入りスポーツクラブ設立に至った経緯を話します。
お楽しみに!